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ローマが帝国になり得た理由 古代歴史家ポリュビオスが指摘した「人々の誠実さ」

2025年10月14日 公開

本村凌二(東京大学名誉教授)

コロッセオ

なぜローマは大帝国へと成長できたのか――。その答えの一端を示すのが、古代歴史家ポリュビオスの著した『歴史』です。本稿では書籍『教養としての「世界史」の読み方』より、この問いを解き明かしていきます。

※本稿は、本村凌二著『教養としての「世界史」の読み方』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

ローマは、なぜ帝国になり得たのか

ローマ史を専門にしていると、必ず聞かれることがあります。それは「ローマは、なぜ帝国になり得たのか」ということです。

このテーマは非常に歴史の長いもので、前2世紀のポリュビオス(前204頃〜前125頃)がすでに問い掛けています。

古代ギリシアのメガロポリスで生まれたポリュビオスは、人質としてローマに来ました。

彼はローマで、第一次ポエニ戦争から始まる長いローマの歴史を『歴史』という書にまとめました。これは今でもローマ史の第一級史料となっています。

ギリシア人のポリュビオスがローマの歴史を書く大きな動機となったものこそ、地中海世界に1000をこすポリスがあるのに、その中で「なぜローマだけがこれだけの強国になり、世界帝国と言える段階までくることができたのか」という疑問でした。

ですから、もちろんポリュビオスはその著書の中で、この問いに対する彼なりの意見を述べています。

意見はいくつかあるのですが、まず1つは、ローマという国の国政システムが、非常にバランスがよかったということです。

そのバランスのよさを理解するためにも、ここでいま一度ギリシアの歴史を簡単に振り返っておきましょう。

ギリシアはまず王政から始まり、その後貴族政になり、貴族政の混乱を経て僭主政、つまり独裁政が出てきます。独裁政については、必ずしも悪いものではありませんでした。事実、ペイシストラトスのような優れた為政者のもとでは、むしろ国は発展しています。

しかし、ダメなヤツが上に立てば、独裁政じゃなくてもダメになるのは当然の帰結です。ということで、ペイシストラトスの息子の世代になると混乱が起き、クレイステネスの改革によって民主政へと変わっていきます。

民主政においてもリーダーは必要です。ペリクレスのような優れた人がリーダーとなっていたときはよかったのですが、ペリクレスが亡くなり、ペロポネソス戦争(前431〜前404)の混乱の中で、民主政はモボクラシーへと変質していきます。

モボクラシーは、日本では「衆愚政治」と翻訳されることが多いのですが、これは少々過激な訳で、私は「ポピュリズム(大衆迎合主義)」と言ったほうがいいと思っています。つまり、リーダーが民衆をよい方向に導くことができず、逆に政治家が民衆の勢いに流されてしまう状態、ということです。

この混乱が収拾できないうちに、マケドニアからアレクサンドロス大王が出て、個々のポリスの政体はともかくギリシアはその支配下に置かれることになります。それはいわばアレクサンドロスによる君主政つまり独裁政なので、ギリシアの国政システムは振り出しに戻ってしまったとして、ポリュビオスは「政体循環論」を唱えました。

そんなギリシアに対し、ローマは政体が循環しませんでした。

基本的にローマは独裁を嫌います。しかし、合理性を好むローマ人は、権力がある程度集約されていたほうが、物事が合理的に進むことも知っていました。そこで、コンスル(執政官)に代表される独裁政的な部分を国政システムに組み入れるのですが、本当の独裁政にならないように、コンスルは必ず2人で務めるという制約を設けていました。

さらに、貴族政に相当する元老院(セナートゥス)と、民主政に相当する民会(コミティア)が同時に国政を担いました。

つまり、独裁政(コンスル)、貴族政(セナートゥス)、民主政(コミティア)という、ギリシアでは1つずつが顕著に現れたものが、ローマでは同時に存在することで見事にバランスを取っていたと、ポリュビオスは考察したのです。

もちろん、だからといってローマがずっと平穏だったわけではありません。権力闘争も度々起きています。それでもギリシア人であるポリュビオスの目から見ると、ギリシアの混乱に比べればはるかに少なく、安定して見えたのです。

国内の争いが少なければ、それだけ外に向けられるエネルギーの量は増えます。つまり、ギリシアは国内紛争でエネルギーを消耗してしまったから大国になれず、国内が安定していたローマは、その分のエネルギーを外に向けることができたので帝国になれた、ということです。

 

ローマ人の宗教的な誠実さ

もう1つ、ローマが大国になれた要因としてポリュビオスが指摘したのは、ローマ人の宗教的な誠実さでした。

ポリュビオスの『歴史』には、ローマ貴族の葬礼について述べた文章があるのですが、そこで彼はとても面白い考察をしています。

 

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偉業を成し名を上げた人々の肖像が一堂に並び、まるで生命を吹き込まれたかのような姿を見せているそのありさまを見て、恍惚としない者がいるだろうか。これに勝る光景がいったいどこにあり得よう。
(『歴史』より)
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これは、葬礼の場で、親族が死者そっくりの仮面をつけて現れたのを見たときの驚きを述べたものです。

なぜ彼がこれほどまでに驚き、「これに勝る光景がいったいどこにあり得よう」と言ったのかというと、この光景を目にしたときポリュビオスは、ギリシア人は公よりも個を大切にするが、ローマ人は個よりも公共の安泰を重んじる。なぜ、ローマ人はこれほどまでに公共を重んじることができるのか、という謎の答えに気づいたからなのです。

ポリュビオスは、ローマ人が公共を重んじるのは、若者の頃からこうした感動的な葬儀を経験することで、「たとえ死んだとしても、その英雄的功績はこうして永遠に語り継がれるのだ」という思想的刷り込みが行われているからだ、と考察しています。

ポリュビオスは、こうしたやり方を非難しているわけではありません。

それどころか、ローマ人は、ギリシア人には到底かなわない生真面目さと敬虔さを持っていると述べています。

このポリュビオスの考察が決して的外れなものでないことは、ローマの政治家にして、哲学者、弁論家でもあるマルクス・トゥッリウス・キケロ(前106〜前43)の言葉が証明しています。

 

「ローマ人は、ガリア人(ケルト・ゲルマン系)には体格・活力で劣り、ヒスパニア人(イベリア半島の人々)には人数で負け、エトルリア人には鍛冶の技能において負ける。ギリシア人には学芸の力においてかなわない。では、ローマ人は何に優れているのかというと、それは宗教的敬虔さだ」

 

キケロは、そう言っています。

つまりポリュビオスは、こうしたローマ人の宗教的誠実さが、個より公共を重んじる国民性を生み出し、それがローマを国家としてまとめ上げ、国政システムのバランスのよさが、エネルギーを外に向けることを可能にしたから、ローマは帝国になることができた、と考えたのです。

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